千田酒造

▲のどかな田園風景にマッチした工場の外観。 東北本線石越駅から「くりはら田園鉄道」に乗って25分の栗駒町は宮城・岩手・秋田の県境にまたがる栗駒国定公園の宮城側の入口に当たり、秀峰栗駒山がそびえ、雄大な自然がたくさん残っており、山肌にはブナの原生林、湿原、渓谷、滝、湧き水、雪渓など貴重な自然が手付かずのまま残されております。 その麓の町栗駒町で米味ののった酒”を基本に、名水「栗駒山系伏流水」を使い、南部杜氏と蔵人と社長が一体となって丹誠込めて酒造りをしている総石高260石の千田酒造です。 千田酒造の沿革 大正9年創業。初代千田養治郎は、金成町で農業を主としながら他に麹を造るなどして商いをしていました。彼は自分が広げた田畑や山林を維持拡大するだけでは飽きたらずに鶯沢町にあった造り酒屋を譲り受けることとなり鶯沢町で酒造業を営むことになりました。その後、よりよい酒を造るための良い水を求め酒蔵の移転を考えるようになりました。その頃栗駒町中野地区に良い水が湧くとの話を聞いた彼は早速中野へ出向き確かめたところ、自分の理想の水に出会うことができました。そして即刻この地への移転を決断したのでした。昭和12年、現在の地に酒蔵が造られ彼は新しい蔵と良い水を手に入れることが出来ました。 この蔵元の特定名称酒「栗駒山」は、秀峰”栗駒山”の麓に蔵があることにちなんで命名されました。なお奥鶴の銘柄で普通酒も販売しています。 これまで多くの鑑評会において数々の好成績をおさめております。東北清酒鑑評会では平成5年秋、6年春秋、7年春秋、8年春、9年秋、受賞しています。加えて平成8、9年国税庁主催の全国清酒鑑評で銀賞を受賞しています。南部杜氏自醸清酒鑑評会では平成5年から5回優等賞を受賞しています。 千田社長がこだわっている酒造りとは?! 仙台の某デパートの店頭で試飲販売する社長が「私は商人です、私たちが造った酒を買ってくれるお客様があっての酒蔵です、その感謝の心を忘れずにやっていきたい。」と話す言葉に蔵の良心を感じました。その社長の酒に対する考えをお聞きしました。 「当社の仕込水は蔵の前にある井戸水です。初代の千田養治郎が求めた栗駒山の雪融け水なのです。井戸に入ってみて驚くことは湧いているというより井戸の底でまるで川のように水が流れていることです。それほど水量が多いのです。そして飲んでみると、すうっとして爽やかなのど越しなんです。 この水を使い、この蔵の人間が仕込んだ酒それが栗駒山です。私がめざしている酒とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まず醪(もろみ)を搾った時、その時においしい酒を造ることです。 酒の素性が良く、バランスが良くて雑味もなく変な香りもしないのであれば、その酒の味、香りを膨らませ、特徴も膨らませてそのまま飲んでいただきたい。そのような”米味ののった酒”をめざしています。 それには先にお話したように、搾ったときに良い酒でなくてはなりません。そのためには、なにより酒の造り手としての技術を高めることです。加えて私たちの技が充分発揮できる環境にすることです。 仕込みのペースをゆっくりして余裕のある安全で確実な酒造りをすことによって1本1本の醪を丁重に手がけるとゆうことも非常に重要です。 そのため当社では4日に一度の留め(通常は毎日とか2日で1本の留め)にしています。 ”再現性のある酒”を当社の大きな目標としています。 毎年酒が違うのでは消費者の皆様のご支持は受けられません。 そのため先に述べたようなノウハウも重要ですが設備面での充実も欠かせません。当社では、コンマ1度で制御する醪の温度センサーや冷水装置、自動製麹機などの最新設備を備えています。  出来た酒の管理が品質に大きく作用するため酒を生鮮品のように扱うというポリシーから、活性炭には頼らず品質保持のため栗駒山は冷蔵管理しています。 現在栗駒山だけで、わずか200石の出荷ではありますが27坪の大型冷蔵庫を持っています。それゆえ全量冷蔵瓶貯蔵を可能にしているのです。」 徹底した最高の酒造りにこだわり続ける若き五代目社長です。 全量瓶貯蔵にこだわる理由は? 品質の保持(タンク貯蔵だと空気に触れる面積が多いため酸化しやすい) 火入れの後急冷が出来るので酒へのダメージが最小限度に押さえられる。 仕込み時期には、仕込みをしつつ、搾ってからすぐに火入れするので、瓶詰だと適時に火入れして急冷出来る。 活性炭濾過をしない理由は? 炭素に頼らないとの方針で、酒造りをしているので失敗は許されないとの心構えで杜氏・蔵人全員が真剣勝負が出来る。 酒のバランスがよければ、濾過しないほうがバランスがよくおいしい酒を 提供できる 小さい蔵だからこそ、みんなで知恵を出しあい、手間を惜しまず全力で酒造りをしています。…

内ヶ崎酒造

▲宮城県内最古の酒蔵。 宮城県の中央に位置し、仙台市の北部副都心泉区に接している富谷町は、江戸時代、奥州街道の宿場として伊達政宗によって開かれました。仙台藩領土の南北を結ぶ奥州街道の要駅として、七北田・吉岡宿駅の中間に置かれた宿駅として栄えた「富谷新町」の雰囲気を今に伝える富谷町中心部の旧奥羽街道沿いに現役の酒蔵としては県内最古の内ヶ崎酒造店があります。 かつての宿場町として栄えた「富谷町」は、今や整然とした団地群に囲まれ、仙台のベッドタウンとなっています。「富谷」の由来は、むかしこの地に「十のお宮」があったことから「とみや」となったと言われています。現在では「日吉神社」のみが残っています。 内ヶ崎酒造の沿革 寛文元年創業。(1661年) 内ヶ崎家は、戦前衆議院副議長を務めた作三郎氏、元東北電力社長の贇五郎氏ら県を代表する人材のほか、町長、県会議員を輩出した富谷一の名家で、その道のりは町そのものの歴史と重なります。 内ヶ崎家の初代・織部(前名・筑後)は、室町時代の黒川郡一帯を治めていた黒川氏に仕えた家老です。1590年(天正18年)、黒川氏が伊達政宗に敗れ家臣は離散、織部も農業に従事しながら閑居していましたが、1615年の「大阪夏の陣」で徳川幕府体制が確立すると、藩内の街道整備に力を入れ始めた政宗の命を受けて、富谷での宿場開設に尽力し町を治める初代「検断」にも任命され、当時13戸しかなかった寒村をわずか2年で宿場町へと変貌させました。 以降、代々内ヶ崎家は参勤交代をする奥州諸藩や松前藩の大名の宿泊所となる「本陣」も務めたことから、街道沿いは旅人で賑わい江戸後期には約80軒の店が並ぶ商人の町へと発展しました。 2代目の作右衛門の時に、仙台藩主から酒の醸造を許され酒造りが始まりました。仙台藩の儒学者・志村五城が残した碑文には「自ら作った稲で酒を醸造、その味は極めて甘味」と記されています。 1812年(文化九年)には、十代藩主伊達斉宗に献酒し、翌年には「初霜」と「初霞」の銘を賜るなど藩を代表する酒へと成長しました。藩に金や穀物を献上して藩政に協力することもしばしばで、地域住民の多くを雇い入れるなど、救民の志も厚かったとされています。1904年(明治37年)には救済事業として町内の所有地に庭園を築造、主だった産業のなかった富谷で雇用創出を図りました、内ヶ崎家別邸庭園は今では町の観光名所の1つとなっています。 鳳陽の銘柄は、「唐書」の季善感伝に”鳳鳴朝陽”とあり、その鳳にあやかり家運の隆昌を念願して命名されました。 これまで多くの鑑評会において数々の好成績をおさめております。 昭和59年(1984)  全国新酒鑑評会金賞 平成 2年(1990) 南部杜氏自醸清酒鑑評会岩手県知事賞 昭和60年(1985) 全国新酒鑑評会金賞 平成 5年(1993) 全国新酒鑑評会金賞 昭和60年(1985) 南部杜氏自醸清酒鑑評会花巻市長賞 平成 6年(1994) 全国新酒鑑評会金賞 昭和62年(1987) 全国新酒鑑評会金賞 平成 8年(1996) 全国新酒鑑評会金賞 昭和62年(1987) 南部杜氏自醸清酒鑑評会花巻市長賞 平成11年(1999) 全国新酒鑑評会金賞 昭和63年(1988) 全国新酒鑑評会金賞 平成12年(2000) 東北六県鑑評会仙台国税局長賞 平成 元年(1989)   南部杜氏自 南部杜氏組合中央会長賞 平成13年(2001) 全国新酒鑑評会金賞 南部杜氏鑑評会35回連続優等賞 内ヶ崎社長の今も生きる共栄の心 内ヶ崎酒造店は、1661年の創業以来、一貫して手づくりの酒にこだわり、守り続けてまいりました。歴代優秀な杜氏にも恵まれ、量を求めず、妥協を許さない酒造りが、鑑評会での数々受賞歴となって輝いています。 内ヶ崎社長は、家業を継がれる前は、エンジニアをやっておられました。そのためコンピューターにも詳しく、地酒を親しむ会宮城を立ち上げ時から貴重なアドバイスを頂きました。特にその人柄は、温厚で物静かな中に、妥協を許さない厳しさと、優しさがあります。…

一ノ蔵

一ノ蔵のある松山町は、コスモス園として名高い「御本丸公園」、県の重要無形文化財に指定されている日本刀匠の工房、江戸時代伊達藩の家老であった松山の領主・茂庭家の菩提寺「石雲寺」や祈祷寺「満徳寺」など、古くから城下町として栄えた名残が今なお風情を醸し出しています。 この城下町を、酒・味噌にあやかって『醸』、町のキャッチフレーズ「花と歴史の香るまち」から『華』、そして人が集まる城壁で囲まれた『邑』の字を使い、この一帯を『醸華邑』(じょうかむら)として、ゆっくりと散策が楽しめるように整備されています。 また、昔からの米どころとして知られ、町の基幹産業としての美味しい米作りには全町一体となって取り組んでいます。大自然の懐の中にひっそりとたたずんでいる(株)一ノ蔵本社蔵のある丘陵地帯は豊富な伏流水に恵まれ、まさに酒造りの桃源郷として最適の地です。 一ノ蔵の沿革 世界は泥沼化したベトナム戦争の末アメリカ軍の敗戦が濃厚になりつつある頃、日本では故田中角栄首相の「日本列島改造ブーム」に沸き立っていた昭和48年、宮城県内の中堅蔵元4社が、それぞれの家業に見切りをつけ、企業合同によって新たな会社をつくりました、それが今では日本でも屈指の酒造メーカーとして全国に知られた(株)一ノ蔵です。一ノ蔵の社章の桝は、4つの蔵が一緒になり、それぞれ「人」を大切にしていこうとの願いを込めて作られました。 若き経営者4人が周りの期待を一身に浴びている中で船出した設立当時の一ノ蔵は、新たな設備投資とオイルショックによる建築資材の高騰にあえぎ、また大消費地仙台では灘の三増酒が全盛で、新会社は苦境に立たされました。そんな中にあっても「他の清酒メーカーと差別化するには高品質の日本酒造りを目指す」との方針から、あえて売れ筋の普通酒から本醸造酒に切り替えて販売するとの一大英断で巻き返しを図りました。 全社員一丸となって宮城県内の酒販店を訪問するローラー作戦など、ひたすら知名度アップに積極的に取り組んだことが功を奏し、徐々に販売量が増加し宮城県内での足場を固めていきました。 その後、首都圏に新たな販路を求めていた中で歴史的な岡永の飯田博氏と出会いがありました。そのことが日本名門酒会への取り組みとなり、一ノ蔵が一躍全国ブランドとして左党垂線の蔵となるきっかけとなりました。そして現在では皆様ご承知のとおり日本酒業界の雄と云われるほどの企業になりました。 「手をかけ、心を込めた手造りの酒」を酒造りの基本とし、初代社長・松本善作氏の深い愛情と指導のもと、浅見商店、勝来酒造店、桜井酒造店、松本酒造店の若き代表者4氏がひとつになり、強い信頼関係と、それぞれの蔵の持っている酒造りの経験を生かして一ノ蔵は発展してきました。 (株)一ノ蔵誕生のバックボーンである経営者4人共通の「プラス志向と好奇心の精神」は今も社員に受け継がれており、一世を風靡した「無鑑査本醸造」に始まり、シャンパンを思わせる発泡清酒「すず音」、「ひめぜん」など積極的に開発されている新商品はそれぞれが日本酒の新定番として根強い人気を誇っています。 毎年4月に開講している「一ノ蔵日本酒大学」、7月には「いちのくら微生物林間学校」、そして各地で開催されている「一ノ蔵を楽しむ会」など、日本の文化と伝統としての醸造発酵の啓蒙と日本酒を守り育んでいます。「高品質の日本酒づくり」と「醸造発酵の技術を活用した地域の活性化」を旗印に、オンリーワンの酒蔵を目指し、日本酒復権に賭け新しい酒文化への挑戦を続ける宮城の銘蔵です。 受賞歴 平成3年4月 名古屋局長賞 中部鑑評会 平成4年4月 金賞 東北六県鑑評会 平成4年5月 優等賞 南部杜氏鑑評会 平成4年4月 金賞 全国清酒鑑評会 平成5年4月 金賞 東北六県鑑評会 平成5年5月 金賞 全国清酒鑑評会…

石越醸造

田園に立っている社屋 銘酒「澤の泉」の蔵のある石越町は東北本線石越駅があり東北新幹線くりこま高原駅から車で20分、 東北自動車道若柳金成インターチェンジから車で20分の場所にあります。宮城米の中でも、最上級の食味を誇るおいしいお米の産地として有名な、周囲を水田が囲む緑豊かな小高い丘の町です。町のレジャー施設チャチャワールドいしこし内のあじさい園には町の花あじさいが70種類3万株が咲き競う”あじさい祭り”や(6月下旬から7月中旬までのあじさいの開花時期に開催)7000人町民総参加の秋の”7000人まつり”、冬の”どんと祭”など四季折々のイベントも開かれる活気のある町です。 石越醸造?鰍フ沿革 創業時の大正9年頃は、ドブロクなどの酒の密造が多くそのため密造防止のため農家と通い帳方式で米酒交換をするとの条件で4人の有志が出資して合資会社を設立、清酒と焼酎の製造免許を取得しました。昭和2年には、町内を中心に140人の株主を募り株式会社へ改組しました。戦中の米統制時代、戦後の米不足時代、昭和30年代の酒蔵の企業合同や吸収合併時代などの荒波に,もまれながらも会社を存続させた昭和18年から昭和39年までの21年間は「澤乃友」の銘柄で地元を中心に販売していました。 昭和35年2代目高橋喜蔵社長の時に、中澤の地名の「澤」と、敷地内に湧き出る湧泉の「泉」を組み合わせた「澤乃泉」に商標を変更し今に至っています。 これまで多くの鑑評会において数々の好成績をおさめております。昭和51年国税庁主催の全国清酒鑑評で金賞を受賞したのを皮切りに毎年のように金賞を受賞しています。特に昭和63年の南部杜氏自醸清酒鑑評会では首席大蔵大臣賞を受賞し同年宮城県知事より杜氏菅原敬夫氏が宮城の名工に選ばれています。平成15年には、厚生労働省から「現代の名工」の称号を杜氏として受賞しました。 高橋 元社長が一番大事にしている酒造りとは? 石越町出身で、宮城食料事務所、石越長農業共済組合の勤務を経て、昭和40年に退職し、家業の酒販店経営をする傍ら、昭和58年12月に当社監査役、平成2年11月に取締役、平成6年11月に常務取締役、平成8年11月専務取締役、平成13年11月からは代表取締役に就任し、今に至っています。 長い酒販店経営の経験から「多様化する消費者ニーズにこたえる酒造りを目指しています。特に石越町は宮城県でも指折りのおいしい米の産地としての利点を生かすため、低農薬の酒米にこだわり、地元生産農家と出来る限り話し合いながら、地域の方々に 安全、安心、手頃な価格のお酒を提供することに努力しております。 日本清酒というものが醸造化学という学問に根ざした化学製品である以上、たとえ小さい酒蔵といえども、醸造化学に根ざした機械設備を整備し、化学製品として良質の清酒を求めていくならばかならずや、良酒の醸成もでき、消費者の皆様がその良さを認め愛飲てくださる機縁を得ることが出来るだろう」との先代社長の教えを守り、手作りを基本に、清潔を第一に、設備を整え、原料米を吟味し、蔵人の和を大切にし、すべてのことを消費者本位に考えるを頑固なまでに守り通しています。今当社の業績が伸びているのは、消費者が美味しい酒だなと感じるような酒を造ってきたからだと思います。良い酒を造るには、費用を惜しまず設備投資をし、研究熱心な杜氏と蔵人が力を合わせることが大切です。 飲んで美味しい酒・良い酒を造ればお客様はついてきます、これからもゴマカシのない高品質の酒造りに徹していきたいと思っています。」 最高の酒造りに頑固一徹にこだわり続ける石越醸造を宜しくお願いします。 酒造りについて 生産量の8割以上は県内に出荷され、特に登米郡内では独占的なシェアを占めています。他に、東京、関西、北海道 遠くはシンガポールの料理店にも直接輸出しています。「澤の泉特別大吟醸」は、 年1回12月に数量限定販売する石越醸造最高の逸品です。精白歩合:35% 日本酒度:+3.5 酸度:1.3 アルコール度:16.0~16.9゜原料米:山田錦 使用酵母:k9号 ▲仕込み蔵 ▲酵母貯蔵庫 ▲自動製麹装置(ハクヨー)

阿部勘酒造店

▲塩竃神社の真下にある阿部勘酒造です。 本マグロ水揚げ日本一を誇る漁港塩釜には、1200年以上の歴史を持つ奥州一の宮(一の宮というのは、その国の国司として赴任してきた人が真っ先に参拝する神社)塩竈神社があります。 塩竈神社は平安時代より塩土老翁神、海上安全、豊漁、安産の守護神として信仰され、江戸時代より伊達政宗の保護を受けさらに発展しました。 塩釜市中央部一森山の頂上に境内があり、塩竈港、日本三景松島湾千賀ノ浦を眼下に見下ろす立派な構えの社殿内の真下に、享保初年、伊達藩の命により塩竈神社の神酒御用酒屋として創業した阿部勘酒造があります。 阿部勘酒造の沿革 享保元年(1716年)創業。塩釜神社の神酒御用酒屋として、仙台藩伊達家より命ぜられて酒造りを始めました。阿部勘酒造のある塩釜は降性海岸地形であることから水害や高潮に何度となく見舞われ、昭和50年には火災にあい、貴重な資料や酒蔵の全てを焼失しました。そんな中、平成8年には道路拡張にともない蔵を建て直し、近代的な蔵に生まれ変わりました。 酒造りの方針は、あくまでも本物へのこだわりと品質第一をモットーに無理をしない酒造りをしています。阿部家の家紋と「酒は剣菱男山」(酒の代名詞)の歌にあやかって名づけた「於茂多加男山」と「四季の松島」「於茂多加」「阿部勘」「一宮」の5銘柄を販売しています。 これまで多くの鑑評会において数々の好成績をおさめております。南部杜氏自醸清酒鑑評会では毎年のように優等賞を受賞しています。国税庁主催の全国新酒鑑評会では昭和63年、平成3年、5年、7年、9年、11年、13年と連続金賞受賞。 阿部社長のいまどきの酒造りとは?! 現在、宮城酒造組合理事長の阿部社長は開口一番「いや、どうもお忙しい中をご苦労さんです。当社は全てオープンの蔵ですから取材は大歓迎!何でも尋ねてください。」と社長が愛嬌たっぷりに豪快に笑いました。 酒に対するこだわりについても単刀直入「おいしい酒を造ることです。小さい蔵のメリットを生かし無理をしないこと。量を売ることは求めません」とのお話でした。 「私は楽しむことをモットーとしております。人生を楽しむことはもちろん、お酒を楽しむこと、酒造りを楽しむこと、消費者の皆様に当社の酒を、かわらずご愛飲していただきたいとの願いで蔵人や社員と一緒になって開発しております。酒造りの工程の中で生まれるフレッシュでおいしい新しいタイプのお酒が提供できないか只今模索中です。」 「我が社は”高品質少量生産の吟醸酒づくり”、そして”高品質の酒を消費者の手に届く価格で”の大方針のもと、我が社の要伊藤杜氏が中心となって酒蔵を設計し数々の設備をしてまいりました。蔵の中は鉄釘を使わず全てステンレス製を使っております。一番コストがかかる人件費を抑えるため、そして大切な働き手の蔵人が深夜労働等の重労働から解放させるため最新の自動製麹機”杜氏さん”を他社に先駆けて導入しました。温度設定などコンピューターに熟知している伊藤杜氏ならではの力量で最高の状態で使いこなしています。そして酒のタイプに合わせて最適の酵母を培養する自家培養設備や最適な割水を作り出すピアウォター生成機など最先端の設備を備えております。」 我が社では、「米どころ宮城」の蔵として地元を大切にとの思いから宮城県酒造好適米「蔵の華」や、「ひとめぼれ」を中心に「まな娘」や「五百万石」、「亀の尾」(石巻産)など宮城県内で作付けしている米を使っていますが、一部「兵庫の山田錦」なども使っています。銘柄は「於茂多加男山」「四季の松島」「於茂多加」「阿部勘」「一宮」以上5銘柄です。「阿部勘」は県外向けの銘柄「於茂多加」は県内外向けの銘柄となっております。地元消費者を主に販売しているため塩釜圏内に7割、仙台や首都圏に3割を出荷しています。「特に我が社は特定名称酒の割合が98%と高く、なんと全製品の平均精米歩合は51%と高度精米の吟醸酒主体の蔵です。」現在、普通酒に依存している蔵が苦戦している中で、吟醸系が伸びている時代にマッチした阿部勘酒造は、今後の展開が楽しみな蔵です。 酒質の安定が大切と語る若き13代目社長は肩肘はらずに普段着で酒造りをしています。 活性炭濾過を減らしてそのままで出したいんです! 当蔵は、全商品の米の精白歩合が51%(全国平均は68%)いう高度精白米を使っており、加えて自家培養酵母を使って長期低温発酵し、酒の色は水のように透明で、芳醇な香りにの日本酒に仕上がります。出来上がった酒は全て低温倉庫で瓶貯蔵をするため、ほとんどの酒は炭濾過の必要はないのです。 小さい蔵だからこそ、みんなで知恵を出しあい、手間を惜しまず楽しく酒造りをしています。 「最新設備で自動化機械化された蔵」 地方の蔵からの研修生数人と蔵人5人体制で余裕の造りが出来るのは、クレーンやベルトコンベアが米を運ぶ重労働から蔵人を解放し、雑菌の侵入や温度管理など品質を保つのが困難で、従来一晩中寝ずの作業をしていた製麹作業がシステムコンピュータによる温度、湿度管理によって自動化されています。 より良い麹培養の為の数々の機具など、これらとの融合により、各工程は本来の手作りのノウハウにより完璧に管理されています。それは故伊藤杜氏のずば抜けた技術と感性がなせる世界であり、阿部勘酒造モデルとして新しい酒造りが、まさに時代にあった酒を生み出しています。 ▲仕込みタンクは全部で18機。吟醸クラスのための密閉型(右の750k仕込み用)と吟醸以下の開放型。 ▲仕込み自動製麹機「杜氏くん」は杜氏や蔵人が一晩中寝ずに麹を育てる作業を完全に自動化。 ▲コンピューター杜氏くんの麹室は壁は杉貼りで、米に麹菌をふりかけた後全自動で麹を育てます。 ▲育った麹をいったん乾燥させます。 ▲最適な割水を作り出すピアウォター生成機。 ▲酒のタイプに合わせて自社で酵母を培養する設備。 ▲全て瓶貯蔵している40坪大型冷蔵庫の内部。 ▲蔵自慢のこしきは酒米を最高の状態に仕上げます。

更年期サプリは自分に合ったものを使いましょう

更年期になると多くの女性が悩まされる更年期障害。初めのうちは軽い症状で「ちょっとヘンかな?」という程度かもしれませんんが放っておくと生活にも支障が出るほど重症になる事もあります。「ホットフラッシュのせいで外出中タオルが手放せなくなった」「イライラして周りにぶつけてしまった」「めまいの回数が圧倒的に増えた」「手足の冷えがひどい」「肩や腰がこりやすくなった」など、更年期の症状は人によって様々です。自然に治るだろうと放置せず、まずは更年期サプリで更年期対策をしてみましょう。更年期サプリは種類が豊富なのでどれが自分い合ったものなのか分からず選びづらいかもしれませんが、自分の症状にあった成分を調べて、その成分が含まれた更年期サプリを選ぶようにすればサプリ選びの失敗は減ると思います。もし自分に合った更年期サプリを見つけられれば自宅に居ながら更年期対策が出来、とても便利なので色々試してみて自分にあった更年期サプリを見つけてみましょう。